SSブログ

青天を衝(つ)け [政治]


 現在、NHK大河ドラマの「青天を衝(つ)け」という、明治維新前後に活躍した、渋沢栄一を主人公とする番組が、毎日曜日に夜8時から放映されている。

 500以上の事業が興ることに関わり、600以上の社会事業に関わったとされる偉人である。

 「合本主義」と「論語と算盤(そろばん)」が、信念だった人のようだ。

 合本主義とは、株式による出資や預金を集めて貸し付けて会社や事業を興すことをいう。
 見方を変えれば、力を集めて行うということで、個人の力を超えた、多くの力で事業等を成し遂げるということだと思う。
 これにより、個人ではなしえなかったことができるようになり、高度なこともできるようになる。

 論語と算盤(そろばん)とは、商業道徳をいう。
 主として「論語」による道徳を根本に据えて商業を実践していくということだった。

商業道徳に関して言えば、やらずぼったくり禁止とか、詐欺禁止とか、強要禁止とか、不正競争防止とか、独占禁止とか粗悪品販売禁止とか、誇大広告禁止とかの類だろう。
 契約の履行は、信義にのっとり誠実に行われなければならないということである。
 「己の欲せざるところ人に施すなかれ」(論語)をいうともいえる。

 「菩提心を因とし、大悲を根本とし、方便を究竟とす」ともいえる。

 顧客の望むところに答えようとする経営。例えば、トヨタが、ガソリン自動車も、電気自動車とのハイブリッド車も、電気自動車も、水素燃料電池車も、水素ガス燃焼エンジン車も製造販売するという、需要に応えようとする姿勢がすばらしいと思う。

 多角経営にも通ずるし、企業の鏡とも言える。

 そして不断の改善。これもすばらしい。

 課題を解決して糧を得るというのもすばらしい。


 さて話は変わって、新資本主義という言葉をよく聞くようになった。
 まだよく分からないところが多い。
 資本主義については、狩猟生活のみで暮らしていれば別だが、栽培するとか製造するとか、売るという段階になると、資本主義の始まりのような、根源的なものを感ずる。

 生活と欲と自由と衝突と不利益との関係の始まりのような気がする。

 いずれにしても、その発達した段階で多くの問題を生み出した。
 貧困と失業と恐慌が旧三悪と言われていたとのこと。
 これらに対し、いろいろな政策を採られ、国や公的な部門の財政や制度や計画によりある程度和らぎ、労働法制、社会保障その他あまたの政策により、福祉国家となってきた。
 ところが現在また、貧困と格差と失業と景気後退が問題になってきた。
 これは、政策により修正改善してきたことに逆行することを行ったからではないのだろうか。

 経済経済とよくいうが、諸外国では、「政治経済」といい、我が国では、「経国済民」という。
 つまり、個人の苦痛、理不尽な不利益をなくし、国の自立を確保するものであろう。
 その点において、現在は、貧富の格差、低賃金、非正規労働者、ワーキングプア、貧乏の固定化等、済民に反する状況になっている。
 これを解決する政策が強く必要とされている。
 経済を政治経済といい、経国済民というのは、経済は、単にあるがままで放置すれば良いのではなく、また、好き勝手自由にやらせておけば良いというものでもなく、不適切を改善する政策、経済政策をしなければならないということである。
 経済史、経済原論、経済政策と三分野があるが、前二分野を踏まえた経済政策が、最も重要なのである。
 また、国際も含めた総合的な対策もいろいろ必要になってくると思われる。
 そのために、倫理道徳、個人の尊厳を根本に持ちつづけていなければならないということであろう。



 ちなみに、個人の尊厳は個人主義に基づくが、利己主義のことではない。
 この点現在は、あちこちに利己主義がはびこってきている気がする。
 コロナで外出抑制したため、貯金が22兆円も増えたとか。
 かなり10万円給付金が貯蓄に回ったとも言えるが、それと同じくらい飲み食い遊興と無駄遣いをしていたと言えるのではないか。
 にもかかわらず、いまだ、夜の町や飲食、遊興に出て行くものが大勢いるのは、利己主義でしかない。
 キリギリス生活したものに老後税金で面倒見なければならないというのは、納得いかないものがある。
 ありとキリギリスの問題である。


 もう最高裁大法廷で2度も夫婦同姓は合憲であるとされたからもうこれで確定だと思うが、家族の名前を個人の名前だと思い、個人の自由だと思うところに既に利己主義でしかないと明らかである。
 そもそも名前は自由に勝手につけられる法制ではない。
 自分の好きな名前に変えることはできないのである。
 基礎的社会集団の名前であり、自分以外のものがつけた名前なのである。


 自由の問題と社会制度を作るべき問題や財政支援しなければならない問題との区別がつかない、利己主義、たかり根性、倫理道徳の欠如と公私の区別がつかない、またTPOをわきまえない、同性婚問題や、パートナー制度やLGBTQ等、また、クォーター制など、利己主義以外の何物でもない。
 TPOをわきまえれば、自由であることは、その行為が税金で財政支援されるものには、直結しない、社会制度、地方の制度国の制度を作るものにも直結しない。
 財政支援や制度作りは、その必要性、合理性、有効性、適切性、手段の妥当性その他多くの要件が必要である。
 上記のものには、そのような要素は全く感じないどころか、日本を悪くするだけである。
 税金で対処すべきでも、社会制度国の制度、地方の制度にすべきものでもない。
 ましてや、教育の場で教えるべきものでもない。


 特に、LGBTについて、義務教育の児童生徒の前ということは、時系列的に全国民に対して、不特定多数の面前より徹底して多数の前で、行為のビデオ視聴や実演したらどうなるか、刑事犯罪を構成するものだということを認知できないようでは、教育公務員失格であり、実際に行えば、刑事犯で、懲戒処分で給料も退職金も年金も失うものであることを警告しておく。
 日の丸君が代問題よりも更に深刻に教育目的に反するものである。


 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。