SSブログ

自由主義と個人主義と民主主義と平和主義と基本的人権について [人権]



 最近の同性婚問題や選択的夫婦別姓問題や男女同数制問題やカジノ問題等についてマスコミ新聞等の論調を見ていると、標題の意味を取り違えているのではないかと思われる。
 このままでは、標題の価値が損なわれてしまうことを危惧している。

 一つには、欲望に振り回され、他人を顧みず、無責任で、自らの責務努力を放棄し、自分の利己的利益のみ追求し、更に犯罪に近付いていってしまう。

 利己的な言動は、標題の価値の反対であり、敵である。
 独裁主義への道を広げてしまうことである。


 自由とは、自由な複数の人間間でバランスのとれた制限を引き受けた上での自由である。
 他人を無視して他人を苦しめ、他人が死んでもかまわない、自分のみの自由を認めるものではない。
個人主義も、上記のような正しい自由な個人が個人として尊重し合うことをいうのであって、他人を考慮に入れない利己主義をいうものではない。

 民主主義はこのような自由主義、個人主義に則(のっと)って、社会生活等をどのようにしていくかを、自由な個人の意思により決定していくことをいう。
 そして全員合意に達することが最も望ましく、理想であるが、現実には、価値観の相違から、全員合意に至らないことがあるため、多数決をして決定していくことが行われている。
 そのときもあるべき姿として、少数者への配慮を怠ってはならないとされている。

 民主主義の現実が多数決することが多いため、ここに民主主義の危険が生ずることがある。
 それは多数決の暴挙と衆愚に陥る危険があることである。
 これを禦(ふせ)ぐためには、個人も社会もマスコミも教育者も政治家も経営者も有権者も標題の価値を理念としてきた歴史を学び、新たな問題にも正しく学び、より良い社会を着実にしていかなければならない。
 性欲や金銭欲やその他の欲望に振り回され、利己主義に陥り、好き勝手やって、遊び回り、合理性正当性等を欠き、いずれ自分たちに不利益となって返ってくることを招いてしまわないよう気をつけなければならない。
 楽なこと、簡単に儲(もう)けること、努力を要しないことには、余り良いものはないと思われる。穴がありそうなことである。

 この点で最近の信濃毎日新聞等の言動が危惧すべき状態になっていると思われる。
 例えば、誰が誰にアンケートを採ったのか、どのような調査方法であるか、一切明らかにせず、結論だけ賛成者が多いというような数字だけを出していて、どのような論点があり、どのような主張があり、どのような意見があり、どのような学説があり、どのような判例があり、どのような歴史があり、どのような法整合性があり、どのような法益があり、どのような危険があり、どのような正当性や合理性や有効性や倫理性や手段方法の正当性があるか等を一切明らかにしないでアンケート結果だけ出してくる。
 そして、大多数の人間が望んでいるのだから実施しなければならないなどと言わせたりしている。
 インターネットでは、自分の好ましい情報しか見ることがなくなっているとかで、その点が問題になっているから、ホームページでアンケートを採り、その投票総数と賛成者の数だけで、日本の全体の大多数が賛成していると結論づけることはできない。

 アンケートや調査に当たっては、その他にも気をつけなければならないこともあるだろう。

 利己的な人間は、他人を顧みないので、利己と利己の対立になりやすく、喧嘩(けんか)や戦争になりやすいので平和を脅かす。

 利己的な人間は、他人を顧みないのだから、個人を尊重せず、他人の基本的人権を顧みない。

 これらから、利己的な言動は、標題の価値の敵であり、価値の破壊者である。


 最近の経済に関して行われていることも、段々、経世済民から、利己主義に偏重してきている感じがする。

 資本主義は、プロテスタントの宗教的生活から、勤勉で無駄遣いせず向上心にあふれ、人類の生活を良くしようと努力し、金利を取ることを禁じられていたため株式制度を発明し、より大きく発展していくことを行っていたのが始まりだと言われている。 倹約するのでお金が貯(た)まりそれを資本として新たな良い仕事を始めるというものであった。
 今の資本主義は、金利を求め利己主義に偏重している感じがする。

 新しい資本主義は、原点に返り、かつ自由主義、個人主義、民主主義。平和主義、基本的人権の尊重に基づくものでなければならないと思う。


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。