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今日の信毎の記事について 2023/12/22 [課題 教育]



 第一面の下の方に、斜面というコーナーがあり、時事に触れて書かれるものだが、今日の内容はおかしいと思わなかっただろうか。

 野菜を盗んだものを、情けから盗んだから慈悲の心で犯罪の証拠を隠したと解説する。
 野菜を盗むことを是(ぜ)としている点で、何を教えているのかと思う。
 盗みを是とすることはあり得ない。

 そもそも、弘法大師の名前を出してくることがおかしい。
 弘法大師の著作を読めば、山にこもり草を食べ、谷川(たにがわ)の水を飲み修行したといっているのに、盗んだ野菜を食べるはずがない。
 貧乏で食べるものにも事欠いているとみたなら、弘法大師の方が、野草などで、料理して食べさせてやるか、食べられる野草を教えるだろう。

 野菜を盗むことを良しとしてはならない。

 あくまで、法を守り、李下(りか)に冠を正さずを教えなければならない。

 そもそも天網恢恢(てんもうかいかい)疎にして漏らさず、必ず発覚して天罰が下るとか、仏教的には破邪顕正で、このような教えを邪(じゃ)として排斥するだろう。

 アリとキリギリスの話を昔、いったい何を教えているのだと批判したことがある。
 蟻(あり)さんに食糧をただもらってありがとうと贅沢(ぜいたく)し遊び続けたなどと教えて困ったものだった。

 いったい何を教えているのだ。
 教えるべきことの真逆をやっているではないか。

 大体弘法大師伝説は、困っている人を奇跡によって助けたというものが多い。
 弘法清水が典型的だ。
 水に困っている民を見て、地面を杖でついたら清水が湧いたというものが多い。

 仏教では、戒定慧の三学を学び実践することを教える。
 盗むなかれは不殺生の次の不偸盗(ふちゅうとう)で、仏壇の前でのお勤めの、十善戒で毎日唱えているはずだ。
 これが教育だ。

 何をとち狂ったことを書いているのか。

 野菜を盗むことに何の正当性が見いだされるのか、犯罪を犯せば日々安心の生活を送ることはできない。
 日々、見つからないか、見つかって罰せられるのではないか、地元にいられなくなるのではないかと不安な日々を送らねばならない。
 そのようなことにならないように、まさに李下(りか)に冠を正さずを教えるべきであり、十善戒を教えるべきである。
 戒律を守ることが最低限のルールだ。

 周り中犯罪者が増えるようなことを言っていて、犯罪者だらけの中で暮らしたいのだろうか。

 この記事は、文章の運びもおかしい気がする。
 認知症になっていて何を書いているか認知できていないのではないか。

 こんな内容の記事が、長野県で、信毎に載ることが信じられない。

 権力者に盗んだものを渡したら、情けから行ったのだから犯行の証拠を隠してやれといっているようなものではないか。
仏教的にも、道徳的にも、教育的にも、法治主義からもあり得ない。
盗みは窃盗犯つまり刑法犯罪である。戒より最低限レベルの律の、法律の禁止事項である。

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