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主権回復の日式典について [行事]

主権回復の日式典について

 信濃毎日新聞やテレビのニュースで見ると、4月28日が占領の終わりで主権を回復した日だから祝おうと式典を行ったらしい。
 しかし、沖縄や奄美大島等は、相変わらず、アメリカの施政権下に置かれ、沖縄等が返還されたのは、ずっと何年もあとだった。
 沖縄等にとっては、この日は、日本国から切り捨てられた屈辱の日だから、式典はすべきでないと抗議されていると報じられた。
 それでも強行し、首相の式辞の中で、沖縄等への言及が付け加えられただけだったようだ。
 私も、沖縄等の主張や信毎の論調には賛同する。
 このような式典はすべきでなかったし、今後一切この式典はすべきでないと思う。

 ところで、信毎の記事や、テレビの画像で見ると、狭い感じの会場で、天皇陛下御夫妻が、ほぼ壇上中央の机に並んで座っておられ、袖の方で、首相が、式辞を述べるという感じだったようだ。
 そして天皇からのお言葉はなく、お帰り際に、誰かの音頭で天皇陛下万歳を行い、首相等が万歳を唱和したとあった。

 これはいったい何なんだろうと思う。
 ここでの主権回復とは、天皇主権に回復することを意図しているのではないかと疑われるものである。
 あまりにも時代錯誤、国民主権の憲法の規定に背く暴挙だと思う。

 内閣、国会議員、地方公共団体の長等が集まっての式典とは、思えないほどのひどさで、日本の恥としか言いようがない。

 天皇陛下が、お言葉を発しようもない式典、現憲法下の日本国の式典において天皇陛下万歳をする、国や地方の要人達。なんたる醜態か。


 ところで、占領からの主権回復を祝おうなどと、戦争を反省しない、恨み辛みをもって過去を振り返り、過去にとらわれ、引きずっているような、後ろ向き、感情的な発想で、そもそもこのようなマイナス的発想の式典は、国を挙げての式典として不適切だと思う。
 まだ国民主権の憲法の公布施行を祝う方が、国の式典にふさわしいと思う。

 それに、5月3日の憲法記念日は、28日から一週間と離れていないのであるし、4月29日の昭和の日、3日の憲法記念日、5日の子供の日と、行事が目白押しで、連休中である。
 連休中であるから、国民は、それぞれの家庭サービスをしているだろうし、これを妨げたり、連休中の航空機、新幹線、電車、道路の渋滞等を考えれば、この期間中の行事を新たに設定するのは慎むべきである。

 行事目白押しから言えば、天皇陛下御夫妻のお体を考慮しない、残酷なスケジュールではないか。

 あらゆる点で配慮を欠いた、また、内容的にも、沖縄等のことも含め許されざる行事だったと言わざるを得ない。

 会場費、旅費、費用弁償等全くの税金の無駄遣いとしか言いようがない。

 金輪際、主権回復の日など、国、地方公共団体の行事として行ってはならないと思う。
 

第10回長野灯明まつりについて [行事]

第10回長野灯明まつりについて

 今年も、2月9日から2月17日まで、善光寺のライトアップと表参道で夢灯り絵展等色々なイベントが開かれる。
 長野オリンピックを記念して、善光寺を色付きの灯りでライトアップするのが恒例となっている。
 五輪の色は、青黄黒緑赤の5色である。
 黒は、夜の背景が黒だから、それ以外の色で照らすようだ。
 各色は、青がオセアニア、黄がアジア、黒がアフリカ、緑がヨーロッパ、赤がアメリカで5大陸を表しているとのこと。
 そしてオリンピックといえば、参加することがスポーツ選手の夢であり、聖火のリレーもある。
 夢灯りという言葉は、実に良くイメージを伝えている思われる。
 5色の輪が、Wの形に組み合わさって、平和の祭典を表しているようだ。
 今回の灯明まつりも十周年で、特に平和を強く願うものにするそうだ。
 http://nagano-toumyou.com/

 善光寺を含んで行うイベントとして灯明を中心に据えているのは、実にふさわしいと思われる。
 2月15日は、釈尊の入滅の日と決め、涅槃会(大乗仏教では、常楽会ともいう。)という追悼報恩の法会を開くことが多い。
 そして、初期涅槃教によれば、釈尊の入滅にあたり、弟子の阿難が、「釈尊亡き後、何をたよりに生きていくべきか」と泣きすがったのに対し、「自らを燈火として生きてゆけ、仏の法を燈火として生きてゆけ」と釈尊が申されたとつたえている。
 これが、「自灯明、法灯明」あるいは「自法灯明」の教えである。
 灯明まつりは、実に適切な命名と思う。

 2月は、「如月(きさらぎ)」と別称がある。
 この月は、旧歴と新暦とが同じ月名をもつ特殊な位置づけだ。
 きさらぎの読み方もまた、経緯が不明だ。
 「衣更着」とし、寒いからもう一枚更に衣服を着重ねるからだという説と「生更ぎ」とし、草木の更生することをいうとする説とがある。
 広辞苑は前者は誤りとする。
 中国では、早くから、如月としている。日本でも同じ表記をする。
 十干のなかに、辛(しん)があり、もともと新(新しの意)と同語で、草木が枯死して新しくなろうとする状態を表している。この辛の異名を「重光」という。
木につぼみができてくる時節なので、やはり生更ぎの方が、合っている感じがするが、如月の漢字との結びつきが、無いような気がするのが、違和感を感ずる。
 2月には、15日に釈尊が入滅し、22日には聖徳太子が亡くなり、25日には菅原道真が亡くなっている。
 如来といえば、仏のことであり、仏と同じように来た、真実から来た、如去といえば仏と同じように行った、真実へ赴いたという意味とのこと。
 まさに釈尊等が逝ったから、如月という漢字を用いているのではないかと、私は考えている。
 人が亡くなるとお如来さんになったと、よく親等から言われた。

 ところで、長野では、大概のことが月遅れで行われることが多い。
 善光寺大本願でも3月15日に涅槃会を行うようだ。
 ただ、善光寺には、全国あるいは世界から人が来るので、2月15日にも涅槃会的に追悼と報恩の行事をしても良いのではないかと思う。
 その意味でもこの時期に灯明まつりをするのは、とてもいいことと思う。

 五輪の色の光でライトアップすることに関して、仏教でも五色という色が良く用いられる。
 五仏五智五輪の塔とのからみで五色というものが出てくる。
 白赤黄青黒の五色である。
 金剛界では、白青黄赤黒の順である。
 虹が、ニュートンによると、紫、藍、青、緑、黄、橙、赤の七色であるが、実際には、肉眼では、下から青、黄、赤ぐらいしか分からない気がする。
そして、NHKEテレのマサチューセッツ工科大学のルーウィン教授の講義によると、虹の内側は、白く、それから青、黄、赤となり、その外側は暗いとある。
 仏教の金剛界の色順は、自然の虹の色の順と同じだ。
 ところで、善光寺といえば、阿弥陀如来が御本尊。
 五智五仏の五部の蓮華部は、如来が阿弥陀如来(無量寿如来)、五智は妙観察智、九識では眼耳鼻舌身の前五識の次の第六意識、五大では空、方位は西、正法輪身は文殊菩薩、教令輪身は牛に乗る大威徳明王、五色は青色、五力は定、五転は菩提、五仏相は清涼と分類されている。
 青色は、衆色を具足した意で他の色に勝るとされている。
 古代日本語には、白黒赤と青しか色の言葉がなかったといわれている。
 そしてこの青は非常に幅の広い色で緑や黄色も紫も含むような色といわれている。
 山門に青色をあてるのは、二階に文殊菩薩が安置されていることを思うと、ぴったりな配色だと思う。
 文殊菩薩が青龍に姿を変えて飛んでいったという説話もあるし、青が似合う。
 唱歌故郷で「山は青き故郷」と歌うので、まさに山門に青色はぴったりだ。
 国際連合のマークも青を使って平和を表すとのこと。
 青色は、今回のテーマの平和にもぴったり。


出典
 自法灯明に関しては、高野山真言宗 檀信徒必携
 如月に関しては、現代こよみ読み解き事典 柏書房
 仏教の五色については、密教辞典 全 法蔵館
 その他WIKIPEDIAより
 

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