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銃規制について その2 [人権]



 The United States of America(アメリカ合衆国)で、銃規制を求める大規模デモが行われたとのこと。
銃規制はすべきだと思う。

 よく、「銃が悪いのではない、人間が悪いのだ」、「銃を持った悪い人間から守るのは、銃を持った良い人間だ」といい、銃規制を阻もうとする人達(たち)がいる。
 さて、人間は、全て良い人間だろうか。
 良い人間は、常に、いつでも良い人間だろうか。
 この点については、ほとんど多くの人が悪い人間の要素を持っていると言わざるを得ないのではないか。
 そうすると、銃規制をしないことは、悪い人間に、自分たちを殺す凶器を渡すことを意味する割合を多くすることになる。
 良い人間に銃を持たせるより、悪い人間に銃を持たせる割合の方が圧倒的に多いのである。
 明らかに、犯罪者、明らかに精神異常者に銃を渡さないだけでは、危険は減らないと言うことになるのではないか。
 こんな諺(ことわざ)がある。「人を見たら泥棒(どろぼう)と思え」「浜の真砂(まさご)は尽きるとも、世に盗人(ぬすびと)の種は尽きまじ」
 つまり犯罪者は、次から次へと生じてくるのだということ。
 とすれば、銃規制しないことは、多くの犯罪被害者を、うみだすことにしかならない。

 国民の生存権を守るのが、国の責務だとするならば、犯罪により生存を失う確率を減らし、生存を守ることが必要である。
 そのためにほとんど全部の国では警察等を制度としておいている。
 そして、凶器の保持携帯を禁じていることが多い。
 日本は、銃砲刀剣の所持を禁じている。
 これが正しい在り方だと思う。

 銃で人を殺すものは、多くは、他より劣っているものであり、その中で自分の利益を図り、自分の意志を通すためや、妬(ねた)み・恨みや自暴自棄に陥り犯行に及ぶものが多いだろう。
 つまり、国民の役に立つ可能性の小さい者達(たち)が犯行に及ぶことが多いだろう。

 これに対し、銃犯罪の被害者には、優秀で、国民の役に立ち、人類の課題を解決できる人材が多いような気がする。
 銃等を使って、これらの人を殺すことが歴史的に多く見られるところである。
 独裁者によって、多くの知識人等が大量虐殺された例は、多く歴史の中に見いだすことができる。
 また、USAの歴史を見ても、大統領や重要人物がどれほど暗殺や、白昼にも銃で殺害されただろうか。

 つまり、銃規制をしなければ、優秀なものがどんどん殺され、優秀なものがどんどん減り、すぐ暴力に訴える、困った人間が増えてしまうことになるのである。
 それは、いずれ国の衰退をもたらし、諸国の中で、優越的な位置を占めることができなくなっていくことを意味する。
 USAがそのような末路をたどることを恐れる。

 国際連合の安全保障常任理事国は、国内で、銃規制等をきちんと行い、犯罪者が横行するような国にしないように体制を整え、優秀な人材を多くしていき、世界の平和と人権保護に貢献することを期待している。

 暴力によって、自国の利益を図るようなことは許さないという、国際連合及び世界を構築して、人類の幸福を守らねばならないと思う。

 日本の為政者にも、同じ趣旨を言いたい。
 平和を破壊してはならない。諸国を軍拡競争に追い込んではならない。
 平和憲法は守らねばならない。
 憲法改悪案が幾つもの条項があり、そのうちの一つは、良いと思えても、決して賛成票を投じてはならない。
 平和を壊す条項を成立させるために、暴力で自分の利益を得ようとするために、餌として、他の条項を挙げているにすぎないのである。
 いいと思うものがあっても、憲法でなく、通常の法律で十分実現可能なものであるから、憲法改悪案を否決しても、何ら支障がないからである。
 必ず、憲法改悪案は、提案しないようにするよう働きかけるとともに、もし提案されても、必ず否決しなければならない。
 安倍自民党のしていることは、人類にとって致命的な大きな誤りである。

 

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