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オリンピック競技種目数について [課題 教育]

 このところオリンピックの競技種目を削る、復活するとかがニュースを賑(にぎ)わしている。

 問題は、オリンピックの肥大化による弊害を小さくしようということらしい。

 たしかに、競技種目が多すぎると、開催都市の負担は大きく、開催日程スケジュールも無理なスケジュールになったり、放映も全てを放映できなくなったり、会場での観戦も、ごくわずかの競技しか観戦できなくなる。

 しかし、だからといって、競技種目を削っていいものだろうか。

 オリンピック憲章には、
「オリンピズムの根本原則
1. オリンピズムは人生哲学であり、肉体と意志と知性の資質を高めて融合させた、均衡のとれた
総体としての人間を目指すものである。スポーツを文化と教育と融合させることで、オリンピズム
が求めるものは、努力のうちに見出される喜び、よい手本となる教育的価値、社会的責任、普
遍的・基本的・倫理的諸原則の尊重に基づいた生き方の創造である。
2. オリンピズムの目標は、スポーツを人類の調和のとれた発達に役立てることにあり、その目的は、
人間の尊厳保持に重きを置く、平和な社会を推進することにある。
3. オリンピック・ムーブメントは、オリンピズムの諸価値に依って生きようとする全ての個人や団体に
よる、IOC の最高権威のもとで行われる、計画され組織された普遍的かつ恒久的な活動である。
それは五大陸にまたがるものである。またそれは世界中の競技者を一堂に集めて開催される
偉大なスポーツの祭典、オリンピック競技大会で頂点に達する。そのシンボルは、互いに交わる
五輪である。
4. スポーツを行うことは人権の一つである。すべての個人はいかなる種類の差別もなく、オリンピッ
ク精神によりスポーツを行う機会を与えられなければならず、それには、友情、連帯そしてフェ
アプレーの精神に基づく相互理解が求められる。
5. スポーツが社会の枠組みの中で行われることを踏まえ、オリンピック・ムーブメントのスポーツ組
織は、自律の権利と義務を有する。その自律には、スポーツの規則を設け、それを管理するこ
と、また組織の構成と統治を決定し、いかなる外部の影響も受けることなく選挙を実施する権利、
さらに良好な統治原則の適用を保証する責任が含まれる。」と規定している。


 競技種目を削ることは、特に、以下に抜き出した部分に抵触するのではないだろうか。
「スポーツと文化と教育と融合させることでオリンピズムが求めるものは、努力のうちに見出される喜び、よい手本となる教育的価値、社会的責任、普遍的・基本的・倫理的諸原則の尊重に基づいた生き方の創造である。」

「オリンピック・ムーブメントは、オリンピズムの諸価値に依って生きようとする全ての個人や団体による、IOC の最高権威のもとで行われる、計画され組織された普遍的かつ恒久的な活動である。
それは五大陸にまたがるものである。またそれは世界中の競技者を一堂に集めて開催される偉大なスポーツの祭典、オリンピック競技大会で頂点に達する。そのシンボルは、互いに交わる五輪である。」

「スポーツを行うことは人権の一つである。すべての個人はいかなる種類の差別もなく、オリンピック精神によりスポーツを行う機会を与えられなければならず、それには、友情、連帯そしてフェアプレーの精神に基づく相互理解が求められる。」


 レスリングも、ギリシャローマ時代からの歴史のあるものであり、野球やソフトボールや、現在問題になっている幾つもの競技種目が、幼・小・中・高・大学や社会学習・生涯学習の中で、教育や学習として、教え、学び、実践しているものである。
このようなスポーツ種目から、オリンピック競技大会への参加の権利を奪って良いのだろうか。
 全ての個人は、いかなる種類の差別もなく、オリンピック精神によりスポーツを行う機会を与えられなければならないのである。
 少なくとも国際競技連盟まで、できている競技種目は削ってはならないと考える。



 したがって、競技種目を削らずに、課題を解決する方法を考えなければならないと思う。


 そこで一つの提言であるが、まず、大会を二つに分け、人気種目をバランス良く配し、2年に一度開催すれば、一大会の競技数は、半減することになる。
 一競技のみを見れば、これで4年に一回の開催になる。
 最終的には、4年に一回の開催にこだわる必要も無いと思われる。
 2年に一回でも大きすぎたら、1年に一回にして、一大会の競技種目数を減らせばいいのである。
 ニュースポーツが多くの参加人口を得て国際競技連盟まで組織したら、それもオリンピック競技大会に加えねばならないと考える。
 オリンピック憲章の28種目の上限の規定は、廃止されるべきである。

 これが私の提言である。
 是非、御賛同いただき、あらゆるスポーツ競技の人が、今のような混乱に政治的に巻き込まれることがなく、自らのスポーツの練習に専念し、より早く、より高く、より強く、そしてより美しい、試合、試技をオリンピックの舞台で見せてもらえるようにしていただきたい。


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