SSブログ

岩波書店創業100年とのこと [文化]

今年は岩波書店創業100年とのこと。

 随分とお世話になった。
 特に、岩波新書と岩波文庫と我妻栄の民法講義と広辞苑と仏教辞典に一番お世話になった。
 新書と文庫以外の本は、実に装丁がいい。
 紙質も良かった。
 しかし、本の内容は堅いものがほとんど。
 難解で1ページ目で放り出した本が何冊あっただろう。
ほとんど積ん読していた感じ。
 岩波新書と岩波文庫の九割方が、最後まで読めて、全て内容が分かれば、日本でも第一級の知識人になれるのではないかと思われた。
 辞典は、まあなんと簡潔すぎるくらい凝縮した言葉で解説されているのだろう。
 辞典を引いてもまだ分からないということも、度々あった。
 専門辞典は、小辞典等も入れればかなりの分野のものがある。

 岩波文庫が典型的だが、岩波の本は、古典であるもの、古典になり得るものが多いので、原文そのままでは、とても一般の人には読めないだろうということで、日本語訳にしてあったり、それでも足りず、頭注や脚注や段落毎の注、更には巻末に補注まで掲げてある。
 そのため、しおりが現在読んでいるところだけでは足りず、段落注や補注にもしおりを挟んでおかなければ読み進められないというものが多い。

 また、注だけでは足りず、巻末につけている解説がまたすごい。
 翻訳者、注釈者が解説しているものと、更に他の学者が解説しているものとある。
 この解説が、本文の理解を助けるようなものが多いのだが、その格調は高く、水準も高い。
 まるで、新たに一つの論文を読んでいる、教科書を読んでいるように感じられることすらあった。
 それにまた、出典や引用書籍のリストや参考文献まで細かく載っているものが多い。
 古典をひもとくに岩波文庫ほど優れているものはないだろう。
 よくこれだけ、第一級の知性に翻訳や注釈をしてもらったものだと思う。
 記憶に残っているのは、「石川啄木歌集」、プラトンの「テアイテトス」、仏陀「真理の言葉」、中勘助「銀の匙」、トルストイ「人は何で生きるか」、「人生論」、ハンスリック「音楽美論」、ソフォクレス「オイディプス王」等


 岩波新書も同様である。
 こちらは、入門とか伝記とか現代の問題の現時点の学問状況等が新書になっている。
論文演習等で買わされた清水幾多郎「論文の書き方」、渡辺照宏「お経の話」、「日本の仏教」、「仏教第二版」、松長有慶「密教」、三枝充悳「仏教入門」等仏教関係、渡辺洋三「法とは何か」、「法を学ぶ」、川島武宜「日本人の法意識」等の法学関係、宮城音弥の心理学関係は良く読んだ。


 長野県内の諏訪地方に風樹文庫という図書館があり、岩波書店の本をそろえているそうであるが、中、高、大学校図書館、公立図書館には、岩波文庫、岩波新書、ジュニア新書、岩波全書、小事典シリーズ、各種専門辞典、専門事典は最低限全部揃えておいてくれれば、絶版とか在庫無し印刷予定未定で読めないということがなくていいと思うのだが。
 図書館で表紙等にフィルム等貼って、汚れにくく破れにくくして整備して欲しい気がする。
そこでざっと見て、自分でも持っていたいと思うものを買えばいいと思う。

 年をとってからではなかなか読めない。
 一つには、好みが偏ってきて、好み以外は、理解できなくなったり、読む意欲が持てなくなる。
 一つには、目が弱ってきて、文字を追うことすら困難になってくること。
 岩波文庫の文字の大きさでは、読めなくなる。
 一つには、年をとってからでは、読むスピードも遅くなるし、理解も困難に、また、覚えることも難しくなること。
 だから、できるだけ若いうちに身近に置いておいて、できるだけ読んでおいた方がいい。
 小中高大学校の頃にどれだけ多くの良い本を読むか、が大事なことだと思う。
 このころは、お金がなくて自分では買えないだろうし、社会に出て勤めたころには、お金があっても仕事関係の本を読むので手一杯になってしまうし、まとまった読書の時間をとることが難しくなる。
 翌日の仕事に悪影響が行くので、徹夜で読むこともできない。

 貸し出すと本の傷みも多いので、重版等も買っておいて複本化しておく必要もある。
 そのうちに岩波書店と、古典のデジタル化を共同でやって、より読みやすくして欲しい気がする。

 岩波書店といい、筑摩書房といい、他にもいくつか長野県人が創業した出版社があるが、いずれも素晴らしい本を出している。
 これらはやはり、図書館に備えておいて欲しいと思う。
 筑摩書房には、弘法大師全集がある。

 岩波書店の全集には素晴らしいものが山のようにある。
 他の出版社の追随を許さぬほどである。
 哲学関係は、西洋東洋の巨人のものは随分揃っている。


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。