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この頃思うこと。2003/03/28 [行政]



1.最近、信濃毎日新聞で、同性婚等のアンケート結果等がでかでかと報じられていた。
 同性婚も選択的夫婦別姓も50パーセント以上が賛成というものだった。
 誰にアンケートしたのかよく分からないが、論点を明らかにしての議論がないものばかり出してきて何の役に立つのか。
 県議候補者のアンケートも同様かなり高い賛成とあった。
 異常に、外国の例、アンケートの結果等だけ出してくる。
 それに比べて、ウガンダの難民認定に関する記事が小さい。
 同性愛者であることを自認しなければ、刑罰を科されないのだから、そうすれば良いではないか。
 そしてそのような刑罰は、人権侵害だと指摘すべきだろう。
 大阪地裁が難民認定すべきとの判決を出したのは、おかしいと思う。
 同性愛者ではないといえば、あるいは異性と結婚すればいいだけではないか。
 この程度のものを難民として認定したら、ウクライナで日々死の恐怖の中にいる人達(たち)が何と思うだろう。
 私は、そもそも日本には難民を受けいられる余裕がないと考えているので、難民認定は可能な限りすべきではないと考える。
 食糧もエネルギーも資源も自給できない国の上、大地震、津波、噴火、洪水、土石流等災害列島なのだから。

 つまり、前に性的指向が、同性愛であっても、異性と結婚して、同性愛から足を洗うことを勧めたが、そうすれば、当人達(たち)も幸せになれるだろう。
 さもなければ、当人達(たち)に幸せは来ないだろう。

 何か信濃毎日新聞のレベルが下がって、県民を間違った方向に向かわせようとしているとしか考えられない。
 筆者担当者は、まともな議論ができない人なのだろうか。

 まずLGBは、その実態を明らかにすれば、わいせつ物陳列罪、わいせつ文書等頒布罪という刑事犯罪に該当するのではないか。
 したがって、このような行為に走れば、公務員は、懲戒免職になる可能性が大きいものだ。
 次に、このような異常性欲を野放図にすることが教育の目的に全く反するものであるから、教育公務員や公務員が(議員も含む)これを助けたり広めたりしようとすることは、公務員や議員の適格性に欠けるものである。
 教育公務員なら適格性に欠けて分限免職になるものである。

 次に、これらを許したら日本社会は不道徳でしかも少子化が進んでしまい、大きな問題を生んでしまう。
 税金や国民に全て面倒見てもらうことしか考えていない。
 人工授精にはもっと大きな問題になってしまうものがあり、人工授精を規制しなければならない。
 そもそも同性愛者が人工授精したら、重婚のようなものではないのだろうか。

 このようなものたちを増やしたら困るのである。
 あたかも、いじめられている方が悪いような対応をして、不登校をドンドン増やして問題をドンドン大きくしてしまっているようなものになってしまうだろう。
つまり得られるものが日本社会と子孫達(たち)への利益にならず不利益にしかならないということである。

 現象の意味と目的ないし法益と未来予測をきちんとしなければ、日本社会は良くならない。

 もちろん法的に許されるかも吟味しなければならない。

 国会では、野党が法案を出す、憲法違反かと議論していた。

 憲法24条は、婚姻、両性、夫婦、家族という言葉を使っている。
 両性という言葉が抵触して憲法違反だというなら憲法改正しようなどと言い出しているように感じた。
 婚姻については前に広辞苑の定義を紹介し、異性間の結びつきとその子のための法制度であるし、両性は当然同性でなく異性の二人を意味するし、夫婦も異性間の結びつきを意味するし、そして子供を前提としている夫婦と血縁関係にある家族という文言を使っている。
 したがって、同性婚は、憲法の考慮の外にある。
 外にあるだけでなく、男女同権の歴史や自然の摂理や適切合理的な家族を考えれば、一夫一婦制が世界的に到達し得た人権の現在である。
 そして一夫一婦制を選択したら、その時点で、一夫一婦制以外は認めないことを意味するものである。
 人権の歴史、男女同権の歴史、自然の摂理、生物学的真理、倫理道徳哲学から到達できた結論であるからである。
 つまり、憲法24条は、どうみても一夫一婦制を前提としているとしか読み取れないので、文言からも法の主意からも同性婚を禁止しているとしか解釈できないだろう。

 そして、民法もその趣旨からできており、親族編以下を通称家族法というように夫婦と子・兄弟等の血縁関係のみをその法益の対象としているとみる。


 仏教には十善戒に不邪淫というものがあり、不慳貪(ふけんどん)というものがある。
 前者は夫婦の一方が、第三者と姦通(かんつう)しないことであり、後者は貪瞋痴の貪であり、むさぼり、強欲など欲望を抑制することをいう。

 キリスト教には、七つの大罪に高慢、物欲、色欲、嫉妬、貪食、憤怒、怠惰というものがあるのでこれらをしないことを求めている。
 色欲そのものが大罪なのである。
 姦淫も別途、大罪とされている。

 同性愛そのものが、世界的宗教では戒律違反とされ罪とされている。


2.選択的夫婦別姓も、婚姻時に夫婦どちらかの氏を選択できるのだから、男女差別はない。
 二人で話し合ってきめれば良いのである。
 まとまらなければ、その後の夫婦関係は破綻するから、結婚しない方が良い。

 その他、別性にすることにより引き起こされる多くの混乱や問題が大きいので、現行の規定が最も男女同権であり、合理的である。


3.何か議員候補者数を男女均等数にしようとする法律ができているとか。
これは、論理的に、両方にとって、男女差別の取り扱いをすることになる。
いくら問題となっている仕事等にとって優れた能力を持っていても、男女同数を崩すという理由のみで否定されるからで、仕事の方から要求されている能力を否定するものでもあるから、ピンボケの主張というものだろう。

 あらゆる場面において、男女同数を法令上強制するのは、男女差別であり、衆愚を招く。

 問題となっている参加先の仕事等内容に求められている能力を有しているか否かが基準となるべきで、男女同数が基準となるべきではない。

 人口や有権者数は、女性の方が多いはずであるから、普通に選挙すれば、女性議員が多く誕生するはずなのにそうでないとすれば、それは当の女性有権者から見て、能力が無いとみられているからだろう。
 当選した自分たちの収入場所を確保して良い思いだけしておいて肝心な仕事をきちんとせず、女性達(たち)の問題をほとんど解決できていないということになっているのでは。
 どちらかというと女性の敵は女性ということになっていないか。

 現に、問題をうまく解決できないというか多くの問題を引き起こしているのは、厚生労働省や文部科学省、教育関係者、法務局、裁判所等女性の多い職場のような気がする。
 
 能力を磨き、何が国民のためになるかを考え、実現できる人材が求められている。
 ドンドン日本や将来の国民の生活が悪くなることばかりやられては大変だ。

 同性婚問題も夫婦別姓も男女同数制も日本社会を悪くするだけでしかない。


4.何かやり出すと、困った問題を引き起こすだけのようなことしかしないのは困ったものだ。
 正しく目的を設定できていない。客観的に科学的に有効適切なことを考えることができていない。
 税金の無駄遣いしかできない。
 結果将来を段々悪くするだけで国民の負担も増やしているだけでしかない。


5.どうも女性にはまた日本人は男も含め仲間内だけで群れたがるという傾向が強く、群集心理に陥りやすく、間違いや違法行為や暴力的事件を引き起こしやすいような気がする。
 群集心理状態に洗脳されないよう、一人になって勉強し一人で考えてみる時間を確保するようにしないと、間違いだらけの世の中になってしまう。
 都と山と行ったり来たり、仕事と自己の時間と行ったり来たりというように一人で考える時間を確保すべきである。
 衆愚を避ける手段である。
 一人で考えるときも、頭の中で考えているだけではなく、辞書を引いたり百科事典を見たり、教科書を見たり、解説書を見たり、参考資料を見たりとかして定義や解説や歴史や法の根拠やその他の事実根拠等を見たりして考えるとか、必ずメモしたりパソコンでドキュメント化したりとか、頭の中からいったん外に文字化して、それを見ながら考えるという外部化が必要だと思われる。
 頭の中だけで考えていると暴走しやすかったり、堂堂巡に陥ってしまうことが多いから。


6.教育で最近の信濃毎日新聞で、教育関係者が、子供をかまってやることが必要と書いていたが、?
 この人は、保育園か幼稚園教育の専門家なのだろうか、小学校低学年の教育の専門家なのだろうか、養護学校の教育の専門家なのだろうか?

 かまってやるというのは、ようでもない余計なことではないのだろうか。
 犬を2匹同時に飼っていると、えこひいきしているとして、円満に飼えないことがある。
 犬同士で喧嘩(けんか)を始めて、扱いに困ることがあり、複数を同時に飼うのは、難しいと思った。
 えこひいきしていると感じさせてはならないようだ。

 さて人間の場合は同じ様な難しさがあるのだろうと思うが、下手にかまっていれば、えこひいきしていると感じて、子供同士でにらみ合うことになりはしないか、学級崩壊に繋がったりしないか、暴力事件ばかり起こしやしないか、不登校になりはしないかと恐れるのだが。

 教師は、実学を教えるのであり、また必要なことを自分で学べるように、学ぶ態度を身につけさせるものである。

 ところで、私のうちは、農業と酪農をやっていて、私の子供の頃は、ほとんど機械が無く、人力による作業ばかりだったため、朝は暗いうちから、夜暗くなるまで野良作業をしているほど忙しかったようだ。
 そこで、頻繁に授乳やおしめを取り替えなければならない頃は、木のリンゴ箱に入れられて、田畑に連れて行かれ、日陰を作って置いておかれたらしい。
 そして頻繁に授乳も必要なくなり一日三食となり、またおしめもとれた頃は、家に一人置いておかれた。
 その時には、畳のある部屋や土間を掃いてそこで遊んだり眠っていたりしていた。 目を覚ましていると、赤犬と黒犬とどちらかが側にいた。
 眠っている間は、どこかへ行っているらしく、目が覚めると不思議とすぐ戻ってきて側にくる。
 時々犬の腹を枕にして眠っていたものだ。
 あるとき、家の外に出て、敷地外の道の方へ出ようとしたときがあったが、牡の赤犬は、私の前に回り横向きになり体で前を通せんぼした。
 牝の黒犬は、後から服を噛んで引き留めた。
 それで私は、ここから先へ行ってはならないと学習した。
 家の敷地内に戻った。
 普段犬たちは、ほとんど何もしないで側にいて見守っているだけだった。
 敷地から出ようとしたときだけ、いけないと制止した。
 あるとき黒犬が野犬狩りの罠にかかって何とか、ワイヤーをくいちぎって、帰ってきて私の側に来た。
 見ると、まだ足にワイヤーの輪が食い込んでいたので、ニッパを持ってきてワイヤーを切ってやった。
 犬は吠えることもなく静かになすがままにしていた。

 教育とは何だろうか。

 やたらとお友達ごっこ、共感ごっこ、実学を教えず、探求とかいって、何も確かな有益な実学を教えもせず、何も得るものが無い結果になっても知らんぷり、体系性のかけらもない、いうことを聞かせるためにやたらと脅す、やたらと生徒間で優劣を見せつけ、彼彼女を見習えとやる、方言だLGBなどというものを話題にする。
 どんな人間を育てようとしているのか、どんな人間になると思っているのだろうか。

 特に長野市内は、問題が多くなってきていると思われる。

 教師達(たち)は、建築関係とか自動車関係とか、総合電器店とかNTT・NTTDocomo関係と契約等その他の営業者と自分の生活上の関わりを持って、何も感じないのだろうか。
 これが長野市の教育の結果なのだ。
  

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